和辻哲郎と昭和の悲劇?

 小堀桂一郎和辻哲郎と昭和の悲劇』(PHP新書)は、戦前・戦後を通じて時局に便乗して変節することなく日本の文化・伝統を固守せんとした知識人としての和辻哲郎を取り上げ、対照的に折口信夫鈴木大拙をまるで「マッカーサー草案」の内容を事前に聞きつけそれにあわせるかのごとく自説を変更したかつての憲法学者宮澤俊義のような変節漢であると言わんばかりに描き出している。本書の言わんとすることは、小堀桂一郎のいつもの主張なので一々強調するまでもない。小堀桂一郎の他の著作にも当てはまるように、知識人や政治家に仮託させて自身の政治的主張を展開するというもので、その硬質な文体とは逆にさして重要な内容が綴られているわけではなく、ごく普通の右派的な言説が羅列されるばかりである(もっとも、小堀桂一郎の若い頃の研究、例えば『若き日の森鴎外』(東京大学出版会)は、谷澤永一の『雉も鳴かずば』(五月書房)による適切な批判を是としてもなお、すぐれた比較文学の研究書であると認めるに吝かではない)。和辻哲郎のテクストを仔細に読み込み、その倫理学の思考について検討していくというような内容はほぼ皆無で、ひたすら日本文化の伝統の守護者としての描像が示されている。思想研究としてはあまりすぐれたものとは言えない。

 そもそも、和辻哲郎が変節していないかは再検討してみなければならないことであって、小堀桂一郎が単純にみるように現実の和辻が節を曲げていないといえるのかについては疑わしい点がある。子安宣邦が指摘しているように、和辻哲郎はその主著である『倫理学』(岩波書店)を戦後に改版する際、自身に都合の悪い文言のいくつかをこっそりとすり替えるなどしているからである。更には、和辻哲郎の日本の文化・伝統についての造詣は、その全ての点において必ずしも正解な理解に基づいていたとまでは言えない面もあり、一知半解のまま観念的に捏造された描像に仕立て上げられている側面も多々あることもまた確かなのである。この点については和辻哲郎の大学時代の同窓で、おそらく和辻よりも博識であった岩下壮一による和辻批判がある。

 そういった問題も抱えていた和辻哲郎であるが、その主著『倫理学』が畢生の大作であり、近代日本の哲学的思惟を代表するテクストの一つであることに異論を挟むものは、いたとしてもごく少数でしかないだろう。それほどまでに和辻哲郎は日本近代における倫理学の一つの系譜の起点ともなったり、毀誉褒貶が激しいとはいえ、日本を代表する倫理学者であった。そして、熊野純彦が『和辻哲郎文人哲学者の軌跡』(岩波新書)で描いているように、和辻の思考はあくまで日常の生活の襞に入りながら、そこから倫理を昇華させていき、これまでの規範倫理やメタ倫理では触れられなかった一側面に光をあてる貴重な試みであることは確かで、ともすれば現状の肯定に終始し、それゆえに規範性が導けない構造になっている和辻倫理学の欠点があるとしてもなお、その魅力が色褪せることはない。

 しかしながら、和辻哲郎が前提にしている家族共同体から国家共同体への連続性は、そう自明なことではなく、のみならず、そうした連続性の前提は、ある抑圧の上に成り立っている虚像でしかない可能性だってある。伝統的な家族共同体の描像は伝統的なそれとはズレがあって明治後期から大正期に形成されてきたブルジョアのモデルファミリーを投影したものでしかない可能性だってある。その意味では、小堀桂一郎が批判する大正教養主義に典型的に現れる「大正的なもの」を小堀が称揚する和辻哲郎自身が体現していないとも限らないのである。この「大正的なもの」とは、『近代日本の批評』(講談社文芸文庫)に収録されている蓮實重彦の論文「『大正的』言説と批評」で述べられているように、言葉や概念に対する分析・記述を欠いた抽象的イメージが納得の風土の只中で流通し、にもかかわらずそれに人々がわかったつもりになっている状況において抽出された特徴であり、蓮實重彦生田長江らに現れる「大正的なもの」から辛うじて逃れているごく少数の者として柳田國男折口信夫の2人を取り上げていたはずである。蓮實重彦から言わせれば、むしろ和辻哲郎の言説の方が「大正的なもの」の圏域に収まっていることになるはずだが、小堀は蓮實と真逆の評価を下している。しかし、和辻倫理学がThe Gang's All queer!やドキュメンタリー映画Check it!が放つ批評性に抗する言葉を立てることができるのだろうか、と問うてみるのである。和辻が我が国の文化・伝統に精通しているのなら、『倫理学』の想定する家族共同体が一面的に過ぎることぐらいは承知していたはずである。日本には外国に比べても豊富な男色の歴史があるわけだし、それを記録した文書もある。古くは寺社や貴族の社会から武士道華やかなりし戦国の世は男色が武士の中では当然の慣わしでもあった。織田信長森蘭丸武田信玄高坂弾正の関係は恋文まで残されているほどである。江戸期の文治政治になった頃にも若衆宿があって、吉原の女郎よりも高い銭を出さねば性行為できなかったほど人気であった。旗本奴や町奴などの不良の集まる愚連隊は、男子が化粧をして奇抜な衣装を身にまといながら暴れ回わり、夜は互いの肉体を愛撫する関係が周知の事実となるに連れ、風紀紊乱を諌めたい幕府を悩ましたし、幕末の志士の間でも男色行為が散見された。山本常朝の『葉隠』も主君への愛を伴う忠義の道のみならず荒々しい若武者へのほとんど同性愛ともいえる愛の視線に満ち溢れた書物といえる。こうした事実を和辻が知らなかったわけあるまい。

 和辻倫理学の最大の特徴と思われることは、そのオンティッシュな記述がオントロギッシュな分析にほとんど地続きになっており、事実の記述が即規範の分析にとってかわっているように見受けられることである。これを規範倫理としてみた場合、まるで現状全面肯定の倫理学と見間違えてしまいそうになるわけである。もっとも、和辻にそのような意図があったのかは分からないが、事実としてそうなってしまう。この点と和辻倫理学における方法論についての強烈な批判を放っているのは、戸坂潤『日本イデオロギー論』(岩波文庫)である。戸坂潤の思想は、当時としては水準が高いものがあるとはいえ、現在の時点からみるとその限界も粗も目立つが、初期の新カント派の影響から書かれた「空間論」は今も尚読みに耐えうる論文であり、その硬直したマルクス解釈に比べてみるといかにのびのびと書かれているかがわかろうもの。他方で、マルクス主義者といえども、その解釈はといえば、ソ連の公認学説からさしたる違いはない「弁証法唯物論哲学」なのであって、同じマルクス解釈でも和辻哲郎のそれの方が格段に優れているというのは、まことに皮肉な話である。和辻の『人間の学としての倫理学』(岩波文庫)所収のマルクス論について、熊野純彦もその解釈の先駆性を称揚していたかと思われ、後の廣松渉による解釈に相当近いものがある。廣松渉は晩年、東京大学本郷にて和辻哲郎の『倫理学』に関する講読を行ったというのだから、この事実は廣松と和辻の親近性を推測する間接的な根拠にもなりうるものと思われる。