ある種の「と」論その壱

 蓮實重彦は、批評家としての処女作にあたる『批評あるいは仮死の祭典』所収のドゥルーズ『差異と反復』に関する論考の中にて、ある種の「と」論とでもいうべき見解を披瀝し、ドゥルーズは「足す人」であり「接続詞の人」であると述べ、二者択一や一方からの他方への演繹ないし帰納もしくは弁証法的矛盾に回収されるといったことのないドゥルーズの思考の特質の一つとして「と」の役割に注目する。もちろん、このことは改めて蓮實に指摘されるまでもなく、ドゥルーズ自身が『意味の論理学』で若干触れていたことなので、さして新しさを感じさせる論考ではなかった(もちろん蓮實重彦から言わせれば、当時はまだ『意味の論理学』には目を通していなかったとの弁明もできよう。実際、柄谷行人との対談『闘争のエチカ』においてそのようなことを言っていたかと思う)。

 それにしても、優れた批評家であり信用のおける鑑識眼の持ち主であるはずの蓮實重彦でさえ、ことドゥルーズに関して述べている論考は、『フーコードゥルーズデリダ』所収のドゥルーズ論「怪物の主題による変奏」も含めて凡庸すぎてつまらなく(あの中では最初のフーコー論「肖像画家の黒い欲望」という題名だったかと記憶しているが、いずれにせよフーコーについて語った文章は、残りのデリダ論やドゥルーズ論に比べて格段に面白い)、おそらく蓮實はフーコーやバルトなどと比べてさほどドゥルーズを愛していなかったのではないかと疑われるほどである。現に『批評あるいは仮死の祭典』でもラストの「批評あるいは仮死の祭典―ジャン・ピエール・リシャール論」はもちろんのこと、バルト論やバルトへのインタビューは、ドゥルーズ論で言及されていた「遭遇」がむしろそこで生かされていたものの、肝心のドゥルーズ論や手紙での質疑応答は月並みな感じであったし、『表象の奈落−フィクションと思考の動体視力』は、バルトに始まりバルトで終わっていて、その間にあるドゥルーズ論「ジル・ドゥルーズと「恩寵」」が全く霞んで見えるように、やはり蓮實は哲学者ドゥルーズとは最も相性が悪いということははっきりしている(この書は、もちろん前後のバルト論が秀逸であるわけだが、それ以外に「エンマ・ボヴァリーとリチャード・ニクソン」が傑作である。一見ふざけているとしか思われない題名だが、論じられていることは極めてまとも。後の『「ボヴァリー夫人」論』で繰り返し問われるフィクションの「テクスト的現実」についての先駆け的考察が見られるのである。『赤の誘惑ーフィクション論序説』は、さすが蓮實重彦というべき力業である。確か『早稲田文学』でのインタビューや『「知的」放蕩論序説』において予告されていた時にはあまり本気にはしていなかったものの、確かに三浦俊彦の『虚構世界の存在論』にも言及していたくらいなので、ともすれば可能性無きにしも非ずかなくらいには思っていた。来栖三郎の『法とフィクション』にも目を通しているわけだから、今から思えばやはりかなり本気だったんだなぁと。ちなみに来栖三郎の『法とフィクション』は、本文より注釈の方が圧倒的に多く、本文だけだと呆気ないほど短い。それにしても、来栖三郎は、川島武宜とかと比べても過小評価のきらい無きにしも非ずで、気の毒な民法学者・法社会学者と思われてならない。双方ともキルヒマン以来「法学の学問としての無価値性」という疑念に悩まされていた優れた法学者であることに変わりないが)。

 千葉雅也も『動きすぎてはいけない−ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』において、ドゥルーズドゥルーズ=ガタリの思考にみられる両極端の契機すなわち「ベルグソン主義」的なものと「ヒューム主義」的なもののうち、後者の思考の極北を追求するその仕草において、この「と」をいわば「関係の内在性」に対する「関係の外在性」を指し示す「切断」的詞として見出す。もちろんこの主題は哲学史からすれば目新しいものでもなく、ラッセルが新ヘーゲル主義との関係で、『論理的原子論の哲学』や『ライプニッツの哲学』において格闘中の思考にも見られることであるが(もっとも、ラッセルのライプニッツ論は明らかにライプニッツに対する甚だしい誤読に基づくものと思われる。クーチュラのライプニッツ研究と比較して断然クーチュラが勝っていることは火を見るより明らかである)、千葉の論考ではなぜかラッセルのこの点に関する思考への言及はない。

 それはともかくとして、批評の世界とは別に学術研究の世界ではともすれば『差異と反復』に代表されるように、ベルグソンの系譜の言わば「連続性」の思考(ドゥルーズ微分方程式が立式できる世界をのみ対象にしている)として読まれがちなドゥルーズの思考の一面よりもむしろもう一つの側面、言うなれば「離散性」の思考の可能性を強調する研究になっており、この点において日本におけるドゥルーズ研究を一歩前進させたと言えるだろう(その研究史的意義は冒頭の「切断論」にくどいほど強調されている)。それよりもこの書は、表象文化論の著書として成功しているといわなければならない。あるいは哲学・倫理学の領域に引き直してみると、存在論ないしは形而上学の書としてではなく倫理学の書として成功しているのではないかと思われるのである。

 特に最近のわが国の倫理学の研究動向は、カント主義的義務論の系譜に位置づけらるロールズの正義論とベンサムやミルもしくはシジウィックの目的論の系譜に位置づけられる帰結主義倫理学といったアングロサクソン系の倫理学の研究に偏っており、倫理学の対象はあたかも専ら「行為の倫理学」であると言わんばかりのその偏向ぶりは、たとえアリストテレスなどの倫理学の復興と軌を一にした徳倫理学やらケア倫理学といったこれまた同じくアングロサクソン系に大枠では含まれる方向性を考慮したとしても、多少は中和されるだろうが、「生きていること」そのものを対象とする倫理学の伝統は完全には継承されてはいない。本来ならば徳倫理学の一つとして儒教道徳や、その儒教道徳を受容しわが国独自の解釈体系を築き上げた江戸期の儒学者である伊藤仁斎荻生徂徠、あるいはアンチモラリズムの本居宣長などが倫理学として正当に取り上げられてもよさそうなものなのだが、それもない。あるいは規範倫理とは離れた場所でレヴィナスが研究されてはいるものの、こと倫理学としてのドゥルーズの思考が主題化されるようなことはなかった(しいて言えば、浅田彰『構造と力』は倫理の書として読めるのである)。この点、フーコーが『アンチ・オイディプス』に関して「倫理書」と正しく評していたように、千葉のこのドゥルーズ論は、本人の意図がどうであるのかは別として、まぎれもなく倫理の書になっており、ここにおいて意義があると言えるだろう。

 いわゆる哲学アカデミズム本流での「正統派」の論文とは違ったスタイルは、アカデミズムの不自由さの軛から離れたところで伸び伸びとした思考が、ともすれば論理の飛躍と非難されかねないギリギリのラインにまで飛翔していて、正統派の哲学研究というよりむしろ批評というに近い(それもそのはず、制度的には表象文化論の論文として提出された学位論文なのだから。仮に哲学専攻として提出された博士号取得請求論文だとしたら、哲学アカデミズム本流の正統派の論文しか受理しないという堅物がどう反応しただろうかと想像してみると、やはり表象文化論としての論文という形で提出して正解だったといえるだろう)。実際、柄谷行人蓮實重彦そして浅田彰東浩紀松浦寿輝など批評家の文章といった、哲学の学位論文の中の重要部分への参照テクストとしては考えにくい人名の引用や参照が遠慮なくなされている。何もこの人名が「御法度」というわけではないにせよ(厳格なところでは事実上の「御法度」の扱いを受けるだろう)、やはり通常の哲学の学位論文の重要部分において引用ないし参照されるのは当該業界のアカデミズムで既に認められているテクストでなければならないとする堅い考えからすれば、やはり批評に近いといった方がより相応しい形容ではないかと思われる。

 哲学として読むとどうしても気になってしまう箇所の一つとして、第5章にある微分法とベクトル場に関する記述などは、やはり不正確な記載である。千葉が出した例だと平均変化率としての微分係数の説明であるにすぎなく、「潜在的なベクトル場を開示する」ものでもなんでもない。ベクトル場なんぞどこにも出てこないのである。これは高等学校までの算術のお話である。もちろん、この誤りは千葉のドゥルーズ論の雌雄を決する箇所でもなんでもないので、誤った記載が一部にあるからと言って数学の論文ではあるまいし、表象文化論ドゥルーズ論として価値が減じるものではいささかもないが、もし潜在性の存在論として全面展開していく論考であるならば、科学哲学者か数学にある程度通じた哲学者からは集中砲火を浴びる箇所であることだろう。しかし再度強調する通り、この書は狭義の存在論ないしは形而上学の書ではない。少なくともそう読むべきではない。「ドゥルーズには存在論はない」というピーター・ホルワードの言に疑義を挟む千葉ではあるが、ドゥルーズに関しては留保がつくものの、この著作は、表象文化論あるいは哲学・倫理学の領域に引き戻して捉えるならば倫理学の書なのである。

 そうすると、次のような誘惑にかられそうである。わが国を代表する哲学者の一人である廣松渉の思考との対決である。千葉も廣松についてわずかながら触れてはいるが、廣松渉著作集全16巻にも収録されていない『哲学入門一歩前』という新書で江湖に出された著作のみをとりあげるばかりで、本格的な対質を試みてはいない。だが、明らかに千葉の思考とは真逆の廣松の思考との対決を避けて通るわけにもいかないのではないか。

 千葉が参照する「思弁的実在論」(僕はこの「思弁的実在論」そのものにはとりたてて目新しさは感じないし、その主張の論拠も乏しい粗が相当目立つ代物で、早晩にも忘れられていくだろうと思われるが。とはいえ、「思弁的実在論」すなわち千葉雅也の思考ではないので、僕の「思弁的実在論」に対する評価が即千葉雅也の思考の評価に繋がっているわけではない。今日のわが国の思想状況においてこれに諸手をあげで賛同するのは、せいぜい唯物論研究会の連中や思想的にも政治的にも至近距離にある日本共産党やらその下部組織たる民主青年同盟(民青)くらいではないかとさえ思われる)の「相関主義批判」に対して、廣松は、例えば『マルクス主義の地平』において、すでに類似の批判を想定した形で再反論とも読める文章を残しているし(もちろん、これはソビエト連邦科学アカデミー哲学研究所公認の弁証法唯物論史的唯物論ー自然弁証法という体系に対する批判の文脈でのことである。それはすなわち、政治的にはスターリン主義とは手を切ったと宣言する日本共産党は、思想的にはなおスターリン主義とは手を切っていないということになるのだけど。実際、共産党の機関誌である『前衛』や『経済』といった理論誌を見ればよい。そのエンゲルス特集なりレーニン特集なりは、旧ソ連の広報誌の内容と見紛うばかりの「公認」の見解であって、マルクス主義というよりエンゲルス・カウツキー・レーニン主義と形容するのが相応しい。千葉の良さは、『前衛』や『経済』に劣らず、否それ以上に『men's egg』こそがある種の「批評性」を持ち得ていることをアクロバティックな仕方でながら示し得ているところなのだ。こういうと、共産党員からはお叱りを受けるかもしれない。「科学的社会主義を掲げる我が栄えある前衛政党の硬派な理論誌と、センターGUYだかギャル男だか知らないが、渋谷やそこらで無目的で生きていた思想もクソも無関係な頭空っぽのチャラけた奴らのファッション+エロ雑誌といったチープな商業雑誌なんざと同じにするな!」との声が聞こえて来そうである。しかし、事実はそうではないのである。なにも『men's egg』や場合によっては『チャンプロード』でも構わないが、それら雑誌が理論誌であるなどと寝惚けたことを言っているのではない。思想とは無縁のこれら雑誌であっても意図せざる「批評性」を持っており、「頭空っぽなイカれっぷり」が開示する現代日本社会での批評的意味を抽出できているということなのである)、千葉雅也の「切断」・「解離」の思考は、廣松の「共同主観性」論に真っ向から衝突するはずである。

 さらに廣松と親和性の高い和辻哲郎倫理学とも正面衝突する立論を展開していたはずである。また廣松はドゥルーズと同様、カントの超越論哲学を評価する一方で、その営為が超越論的主観性の定立を以って終わることへの批判としてその発生論的場面をも主題化するが(ドゥルーズは経験的なものの超越論的なものへの転写という点についてカントを批判していたし、廣松は超越論的主観性の無歴史性・非社会性という点についてカントを批判していた。つまり、超越論的主観性を共同主観性へと読み替え、かつその共同主観性の歴史的社会的規定性を問うという構図である。そして共同主観性を支える認識論的構造として四肢的構造連関があるという考えである)、廣松渉は未だ意識に上らない表象(例えばライプニッツのいう「微小表象」のごときもの)は認めても決して「無意識」というものを認めなかったこともあって、この点においてドゥルーズと廣松は道行を異にすることになる(かつて浅田彰は、廣松渉の哲学を「弁証法化された新カント派」と述べ、そのシンメトリーな構造を批判していたはずだが、確かに完全に当たらずとも遠からずというべきか、廣松哲学はマルクスというよりもむしろ、ラスクやカッシーラーなど新カント派に酷似しているし、実際に『世界の共同主観的存在構造』か『存在と意味』に見られる判断論は、正に新カント派のそれともいって過言ではない)。

 また目指すべき社会についても、廣松は『唯物史観の原像』の最終章において来るべき共産主義世界革命の暁には近代のゲゼルシャフトリッヒな社会を止揚・超克したかたちでのゲマインシャフトリッヒな社会が到来することを志向していることから、少なくとも千葉の考えている社会とは全く異なろう。規範やらアイデンティティなど糞くらえというばかりにかなぐり捨てて欲望のままにイカれたギャル男どもが狂喜乱舞しながら寸止めの快楽に身を委ねて忘我していく光景が散乱しまくっている「ヤク中一歩手前の世界」。冗談ではあるにせよ酒が入ると「偉大なるスターリン大元帥」と口にしていたとも言う廣松が、これを以って「プチブルの退廃」とばかりに「革命後」の「チェカー」により徹底的に弾圧・粛清に取りかかるかもしれない(笑)。これは決定的な違いなのである。